普通の幸せ

高望みなんてしない。

お金持ちになってタワマンに住みたいとか、高級車乗り回したいとか、ホテルのアフタヌーンティーに毎週行けるような人になりたいとか、憧れはあるけどなりたいとは思わない(多分)

そんなことよりも彼氏と普通のマンションかアパートに住んで、毎日他愛無い会話を楽しんで、一緒に寝る。これだけで私はいい。普通でいい。普通の生活をしたいだけ。

でも普通ってみんなが言う通り、とても道のりは長い。まず健康な体があることが前提。それがないと何も始まらない。

ちょっと喉を痛めたくらいでコロナなのかな、コロナで消えてしまうのかな、私は彼氏と普通の幸せな生活を過ごしたかっただけなのに。もっと生きたいって思うようになった。

ふと前の私とは大違いだと言うことに気づいた。生きている実感が湧かない、生きている意味がわからない、このまま消えてもいいやって考えていた前の私。

彼氏がいてくれるおかげで私は生きるエネルギーを生み出すことができた。今は生きたくてしょうがない、彼氏とずっと一緒にいたいから。

ここまで私を変えてくれる人ってなかなかいない

全部

うつのせいだな

就活もう一回やり直したい

使命とか情熱とかやりたいこととかまじでどうでも良くなってきた、普通にお金稼げれば幸せになれるじゃん

 

なんで夢とか持ってる人がつらい思いをして、なにも考えてない人が楽してるんだろうなー

いまはそんな夢も情熱もないよ、今の自分のことを面倒見るので精一杯

自分が一番大事になっちゃった

適当に就活やったつもりないのになんでこうなっちゃったんだろう〜なんで後悔してるんだろ〜私が本当にしたい仕事ってなんだろ〜やめたいな〜

弱い

私は大学3年になってうつを患うまで、自分の体はとても強い方だと思っていた。お酒は結構飲める方だし、しょっちゅうオールで飲んでそのまま大学行ったりしてたし、一日10時間以上のバイトを週に何回もしたりしていた。

でも思い込みでした。やっぱり、というか、弱くなってしまったのかな。いろんな原因があるけど、うつ病になってしまった。なってよかったとは1ミリも思ってないけど、どうせなるんなら学生のうちになっておいてよかったとは思う。

うつ病はなかなか治らない。就活のストレスでパニック障害も出た。食物アレルギーはどんどん増えた。生きにくいね〜

 

高校生の頃からの夢もプツッと切れてしまった。青年海外協力隊、精神科疾患とアレルギーは派遣不可になるみたいです(正式には、アレルギーは派遣不可になる可能性が高い)

自分の体が弱いせいで夢を諦めないといけないのはつらい。

 

でもなんやかんやで今はとても楽しいです。彼氏がいるから。前を向けています。

病魔

今日で東日本大地震から10年が経ちました。

ありきたりだけど、そのことについて書きます。

 

私は当時小学六年生。ウイルス性胃腸炎にかかってしまい、家にいた。両親は働いてるから家に1人で、体がだるいなぁと思いながらテレビをぼーっと見ていた。お父さんが帰ってきて、続けておばあちゃんも帰ってきた。その時にぐらっときたのだ。お父さんと私は怖くてテーブルの下に隠れてたけど、おばあちゃんは玄関のドアを開けなきゃと言いながら、咄嗟に玄関へ向かっていった。

怖いもの知らず?

身の危険を感じるような、今まで体験したことのない揺れに、私は何も出来なくて、考えられなくて隠れることしかできなかった。あの勇気はどこからくるのだろうか。自分よりも他の人が助かる道を咄嗟に判断して行動する自慢のおばあちゃん、来週手術だ。

 

 

今日は卒業式に渡す手紙の便箋と、袴に合うブーツを買いに銀座へ行った。意図せずちょうど震災が起きた時間に、和光の時計台の近くにいた。人が集まっていた。テレビも来ていた。

この10年、私にとって濃い10年だったと思う。まだ22年しか生きてないけど。中学、高校、大学。部活、大失恋、大学受験、アルバイト、うつ病、就活、パニック障害。大変なこともとても多かったけど、私自分のやってきたことに後悔しないから、やりなおしたい事もない。

時間は進むけど、その日で時間が止まっている人もいるのだと思う。私はその人たちの事を考えたら思わず涙が出てきてしまった。前を、未来を向いて、復興しようと頑張れる人もいるんだろうけど、そう簡単に前を向けない人だっていると思う。誰もが強い訳ではないから。その人たちは、前を向くことができる日まで、悲しみでいっぱいなのかな。

知り合いの人が震災の番組を作っていたので見ました。お母さんの夕飯の支度の音で、ぜんぜん聞こえなかった。(音あげればいいのに)

 

余談

今日、誰かのnoteで、毎日腕を組んで胸を押してくる痴漢の話を読みました。私も高校生の時されていた。毎日私を見つけて隣に座ってくる。iPadでAVを見ながら、ポカリスエットを飲むふりをして、腕を胸に当ててくる。終いには、号車を変えても探してくるので、私は友達に相談した。そしたら、

「車両は変えたりしたの?」

「乗る時間変えてみるとかは?」

友達の回答に私はもやもやしてしまった。なんで被害者の私が逃げ隠れしないといけないのだろう、なんで私は堂々とできないんだろう。

きもちわるいなぁ。グレーゾーンに漬け込む大人。

 

音楽

初投稿の話の続きはそのうちやります。そのうち。

 

思いだったからとりあえずしたためる。

今日、久しぶりに家から一歩も出なかった。だから、ラジオや音楽を聴きながら部屋の整理してた。ふと思ったのは、前より音楽を聴く時間が圧倒的に減っているし、全然詳しくなくなってる気がする。前(中3〜高2、大1)はロッキンを買って読み漁って、ツイッターでは音楽の詳しい人がたくさんいてその人たちのツイートを読んでたから、音楽自体を聞いたことはなくてもアーティストの名前を知ってたり、こんなアルバムを出したとか知っていた。

でも疎くなってしまった。YouTubeを見過ぎている気がする。前に比べて全然電車に乗らないから目をつぶってぼーっとしながら音楽を聴く時間が無くなったのもある。

電車通学って時間が勿体ないって思ってたけど、その時間って結構大事だったのかな。いざ自分でその時間を作ろうとするとなかなか作れない。どうしても音楽を聴きながら他のことをしてしまう。そんなのただのBGMなんだよね。

 

てことで今日は休憩のたびにみのミュージックのランキングで紹介していたアーティストを片っ端から聴いています。良いですね

初投稿

私がインターネットに初投稿をした回数を思い出してみる。ついでにそのサービスについても。

 

 

・みなくるホーム

多分、小学3年生の時友達に勧められて始めた。家とアバターをカスタマイズできて、みんなギャルみたいになってた。みなくるホーム内だけだったのかわからないけど、友達を"智"や"朋"というふうに表していた。小学生の私は朋っていう漢字が読めなくて、「棚募集中♪」って書いていたな。恥ずかしい。

 

私は今まで様々な場所でインターネットの友達を作ってきたけど、みなくるホームは初めてインターネットの友達ができた場所だ。錦戸亮くんがすごく好きな女の子で、文通もしたりした。(一回しか送り合ってないけど)

 

みなくるホームでもブログがあって、友達の中で自分の一部を写真に映して投稿するのが流行っていた。私も流行りに乗りたくて、当時家にあったバカでかいデジカメで、玄関の鏡を使い、デジカメで顔を隠した写真を撮り、投稿した。後々、それが兄にバレて、母親にチクられ、「誰が見てるかわからないんだよ?あのブログの服装の子だって襲われたりしたらどうするの?」と、10年後に到来するSNS社会にも通ずるようなド正論で怒られたのを思い出した。その時はこんな服着てる人いくらでもいるし、顔を出したとしても誰も見てないだろう、って考えてたし、その考えはSNSで顔出したりしてた高校生くらいまで続いた。

でも、その考えは大学生の時に働いてたバイト先の人との会話がきっかけで、あの時母親が言っていたことは正しいと思うようになった。

「〇〇さんってSNSやってないの?この前Twitterで△△さん(昔働いていた友人)とか〇〇さん調べたけど、出てこなかったんだよね」と、急に言われて怖気付いた。友達とかなら全くというか、むしろ探してくれてありがとうという気持ちになるけど、ただのバイト先の人(30代後半の男性)に言われて、嬉しいどころか怖いという感情を覚えた。この出来事があってからは誰が見てるかわからないという母親の言っていることは正しいと思うようになった。誰でも見れるような場所に顔写真は出さないようになりました。(大学受験の前にTwitterのアカウントは消しちゃったから、その時載せてた顔写真は大方消えてると思う…多分)

 

話逸れまくった。みなくるホームだけでもこんなに思い出すことがある。もうそろそろ1000字になる。

 

ちなみに、みなくるホームは数年前久しぶりに開いたらサービス終了していた。他のアバター作って遊べるみたいなサービスに比べ、みなくるホームは動かないアナログな感じだったから、そりゃ廃れるよねと思った。

 

他にも色々書こうと思ったけど、疲れたしお腹空いたので、今日はここまで。